ジェプさん(右2人目)
この数年間、雑誌「ナン・スアン(春の日差し)」とハノイ市身体障害者協会のウエブサイトに掲載された原稿が多くの身体障害者が生活困難を乗り越えるための原動力となっています。それらの原稿を書いた作家の一人は身体障害者のファン・ビック・ジェプさんです。ジェプさんはベトナムの声放送局対外放送部を定年退職をした後、ハノイ市身体障害者協会の副会長を務めています。
ジェプさんは生まれつきの病気で、足に傷害があり、歩行困難ですが、親戚と友達の支援を受けたジェプさんは小中学校ともに優れた成績を収めました。高校を卒業した後、チェコに留学する奨学金を断り、ハノイ外国語大学でロシア語を勉強する事にしました。1980年に大学卒業後、当放送局・対外放送部のロシア語課に採用されました。約30年間、ジェプさんは全ての任務を果たし、同僚から敬服されていました。
ジェプさんの同僚であるレ・バン・ヒエウさんは次のように明らかにしています。
(テープ)
「私は数十年に渡って、ジェプさんの同僚でした。彼女は素敵な人だと言っても言い過ぎではないと思います。現在、ジェプさんについて言うならば、優しくて良い人であり、他人を支援する人です。さらに、彼女は『自分が障害者だからと言って、仕事を減らすように』ということを全然言わない人です。逆に、彼女は他の同僚と同じような仕事を負担したいのです。私はその点についてジェプさんを高く評価しています。」
ジェプさんは当放送局を退職してから、身体障害者向けの宣伝活動に積極的に参加しています。ジェプさんは次のように語りました。
(テープ)
「私はベトナムの声放送局に勤めた経験があるので、ハノイ市の身体障害者協会が設立される時、同協会の実行委員会は同協会の編集部への参加を招きました。仕事は身体障害者向けの雑誌「ナン・スアン」とハノイ市身体障害者協会のウエブサイトに掲載する原稿を校正する事です。」
現在、8千人あまりの会員がいるハノイ市身体障害者協会の副会長として、ジェプさんは同協会の活動に積極的に参加するだけではなく、身体障害者の保護活動に参加しています。ジェプさんは現在の仕事を通して、一般の人々に社会に対する身体障害者の貢献について深く理解してもらうよう希望を表明しています。