海のホーチミンルートの出発点

(VOVWORLD) -ベトナム人は北部港湾都市ハイフオンにあるドーソン地区について触れるならば、有名なビーチを思い出しますが、この地区はかつての戦争中に南部に支援物資を運ぶためここから出港した番号のない船の出発地点でもありました。

かつての抗米救国闘争、いわゆる、ベトナム戦争下において、陸上にあるホーチミンルートの他、ベトナム海軍は海上でのホーチミンルートを開設し、南部完全解放祖国統一のための闘争の勝利に大きく貢献してきました。

海のホーチミンルートの出発点 - ảnh 1「K15号の船着き場」の遺跡(写真:bienphong.vn)

海のホーチミンルートの出発点はハイフォン市ドーソン地区にあるギンフォン丘の麓に位置する船着き場でした。この船着き場を「番号のない船着き場」、または、「K15号の船着き場」と呼ばれています。『K』は港を指す軍事の記号で、『15』とはベトナム共産党中央委員会の第15回総会で出された南部の革命路線に関する決議の数字です。ギンフォン丘の麓に位置する船着き場は山に囲まれた小さい湾になっていて、敵軍の目から見えにくい所にあるので、海のホーチミンルートの出発点として選ばれました。

1962年10月11日、ここで、木造の船1隻が初めて出港し、南部に向かいました。30トンの武器を乗せたこの船がその5日後、南部最南端にあるカマウ省ラックゴック県にあるバムルン革命根拠地に寄港しました。この出来事は重要な意義を持つものとされていました。というのはこの旅が海上で南部へ武器を運ぶことができる証となったのです。それ以来、南部への補給路として、陸上のホーチミンルートの他、海のホーチミンルートが開設されるようになりました。海のホーチミンルート開設60周年を記念するにあたり、K15号の船着き場を訪れた際、海のホーチミンルート伝統協会のチャン・バン・ヒュ会長は次のように語りました。

(テープ) 

「南部へ武器を運んできた14年間に、多くの兵士と船舶が海底で永眠してしまいました。当時の海軍部隊の兵士は出港する度に、南部へ武器を運ぶため命を落とす覚悟で決意を固めました。」

海のホーチミンルートを開設した1961年から南部完全解放祖国統一を遂げた1975年までの14年間、1879回の運航が実施され、15万3千トンの武器と弾薬が南部へ運ばれました。

ハイフォン市はこの海のホーチミンルートで船を運航した海軍兵士の貢献を偲ぶため、船着き場K15号の直ぐそばで、海のホーチミンルートの記念塔を建設しました。2008年、船着き場K15号が文化スポーツ観光省により、国家の歴史遺跡として認定されました。

海のホーチミンルートの出発点 - ảnh 2

ドーソン地区の遺跡管理と観光サービスセンターのリュ・ティ・トゥ・フェン センター長は次のように語りました。

(テープ) 

「毎年、多くの人々は海のホーチミンルートの記念塔と船着き場K15号の遺跡を訪れます。ここは魅力的な観光スポットである他、革命の伝統を教育する場所でもあります。多くの学校はここで少年先鋒隊への加盟式やホーチミン共産青年同盟への加盟式などを行いました」

現在、かつての海のホーチミンルートの出発点はドーソン地区における観光ルートの一つのスポットともなってきました。ここから船に乗って20分ほど走るとハイフォン市の有名な観光地であるホンザウ島に行くこともできます。


ご感想

他の情報