ホーチミン主席の母親の故郷

ベトナム中部ゲーアン(Nghe an)省、ナムダン(Nam Dan)県、キムリエン(Kim Lien)村はホーチミン主席の故郷として、国内ではよく知られています。ホーチミン主席のお母さんホァンディロン(Hoang Thi Loan)さんの故郷も同県のファンチュ(Hoang Tru)村です。5月19日のホーチミン主席生誕122周年記念日にあたり、ホァンチュ村を訪れて、ベトナム民族の敬愛するホー主席の幼い頃の思い出を振り返って見ましょう。

ホーチミン主席の母親の故郷 - ảnh 1
ホーチミン主席の生家

現在、ホァンチュ村にはホーチミン主席の祖母ホァンスァンドゥン(Hoang Xuan Duong)の住居が保存されており、ホーチミン主席の記念館となっています。3千5百平方メートルの敷地に建てられたこの住居には3つの部屋があり、緑の竹林に囲まれています。1890年5月19日の朝、グェンシンクン(Nguyen Sinh Cung)というあかごがうぶ声をあげました。その子はのちにベトナム 民族の偉大な指導者になりました。幼い頃、グェンシンクンは祖母、母親の限りない愛の中で(はぐく)まれました。ですから、故郷の子守唄は彼の心の中にしみ込んでいます。

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テープ 子守唄

「愛し子よ、この言葉を覚えてね

頑張って勉強してね

苦しくしても、清廉な心を持ってね

名声を気にせず、国のために身を捧げるよう」

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救国の道を探るため、長年にわたり、国を離れていたホーチミン主席は 世界の多くの国に足を運びました。そして、彼は帰国して、ベトナム共産党を創立し、ベトナム革命運動を指導してきました。彼はベトナムの多くの地方を訪問しましたが祖母の故郷には一度しか戻れませんでした。それは1961年12月9日でした。ホーチミン主席は故郷、ファンチュ村に戻った時、愛する家のすべてのものは幼いころと変わっていませんでした。父親の教科書、母親が使用していた機織機、木製の小さなタンスは昔から置かれたままでした。この家はホーチミン主席の幼いころの生活を物語る博物館といわれています。ハノイからゲアン省のホァンチュ村を訪れた観光客のグェンティクェン(nguyen thi khuyen )さんは次のように語っています。

「この家に並んでいる家具を見つめ、感動しまた。その上、ガイドさんの話を聞いて、家の中にあるすべてのものが馴染み深くなりました。今回、ホーおじさんの故郷を訪れることができ嬉しく思います。彼は子供の頃から、家族の良き伝統を身につけました。ホーおじさんの生活は質素で、清廉なものでした。」

グェンティクェンさんの話でした。

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一方、ホーチミン主席の祖母の住居遺跡区のガイドであるグェンティキムチ(Nguyen Thi Kim Chi)さんは次のように語っています。

「私は8年にわたり、ホーチミン主席の祖母の故郷でガイドとして勤務しています。観光客に案内する度に、敬愛する主席の生涯と幼いころの思い出について説明するとき勉強した知識を生かして、ホーおじさんの故郷への愛情を語っています」

また、キムリエン村のホーチミン主席記念区管理委員会のグェンバンチュウン委員長は次のように語っています。

「我々は常に外国人の観光客が故郷のホーチミン主席の幼いころの生活を深く理解できるように全力を挙げて説明に取り組んでいます。観光客の多くがホーチミン主席の質素な生活に感動しました。ホーチミン主席の成功は故郷への深い愛のおかげで、得られたものだと思います」

1969年9月2日ホーチミン主席が逝去する前に、故郷の民謡を聞きました。彼の心の中にはホァンチュ村の姿は懐かしいものだったのでしょう。その村はベトナム民族の傑出した英雄を輩出しました。

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