1952年1月23日に、ベトナム南部の女性英雄ボーティサウ(Vo thi Sau)はフランス植民地軍によって、死刑執行を受けました。
女性英雄ボーティサウ(Vo thi Sau)
あれから60年が経ちましたが彼女の故郷、バーリアブンタウ(Ba ria Vung Tau)省のコンダウ県にはレキマーという樹の花があの頃と同じように美しく咲いています、住民達はこの花を“サウ”という可愛い名前で呼んでいます。
ハンズォン(Hang duong)墓地
ハンズォンという20へクタールの敷地内の墓地にはおよそ2万人のベトナム人戦没者が眠っています。その中には、レホンフォォン(Le hong Phong)、グェンアンニン(Nguyen An Ninh),カオバンゴク(Cao van ngoc)など多くの名のある革命家が入っています。また、亡くなったもののまだ墓碑銘のないお墓もたくさんあります。サウさんのお墓はこの墓地の中心地にあり、一年中、花が絶えることはありません。このお墓を見守りするグェンゴクミン(Nguyen Ngoc Minh)さんは次のように語りました。(テープ)
「サウさんの墓にお参りする人の大多数は旅行者で、特に土日はとても多いです。お墓に線香をあげ、健康と幸福をお祈りします」
ミンさんはこのように語りました。
サウさんのお墓
大理石で造られたこのお墓には「名前:ボーティサウ1933年生1952年1月23日没」という文字が刻まれています。民族解放闘争に青春と身を捧げたこの英雄的女性の財産は2枚の服だけでした。戦争中、コンダウ島にはベトナム人の革命家を収容した監獄がありました。彼女はその監獄で死刑執行を受けた最初のベトナム人女性でした。今なお、その英雄的女性の名はベトナム人一人一人の心の中に刻まれています。現在は、監獄の遺跡となっている所で働いている幹部のグェンコンロクさんは次のように語りました。(テープ)
「コンダウ島の住民はどこかへ出かけても、故郷に帰ってくるごとに、サウさんのお墓参りをします。」
遠い地方からの旅行者もこの島に足を運ぶとき、サウさんを思い出し、彼女のお墓に3本の線香を手向けます。コンダウ島の住民であるフィン・ティ・キムロアンさんは次のように語りました。(テープ)
「この島を訪れると、ハンズォン墓地に向かって、サウさんのお墓に線香を手向けるようにしています。サウさんは敬服されている若い女性英雄です。現在ような平和の時代に私達は国の独立のために身を捧げた戦没者の恩に報いるため、どのようにすれば国に貢献できるかよく考えています」
ロンさんの話でした。
ボーティサウという女性英雄の生涯と革命事業は1952年で終結してしまいましたが死の直前、共産兵士として英雄的勇敢な精神を発揮しました。彼女は死刑が執行される場所で、敵軍の銃声の中で、故郷の海を眺めながら歌ったのです。そのことは今なお、コンダウ島の住民は女性英雄ボーティサウについての物語を語り続けています。その女性の真剣さはベトナムの人々の心に永遠に生き続けることでしょう。
ではここで「英雄的女性の恩を忘れない」という歌をお聞きください
「 花が咲く季節が巡って来た
私の故郷は赤い大地
村は女性英雄の名を呼んでいる
その女性は春のように美しい
国の独立のため、身を捧げた」