ホアンサ群島に対する領有権は不変であるということ

中国は、ベトナムの排他的経済水域と大陸棚に石油リグ「海洋981号」を違法に設置しているだけでなく、ベトナムのホアンサ群島に対する領有権を公然と主張しています。ベトナムが最近国連に送った文書の中で、ベトナムはホアンサ群島に対する領有権を再び強調すると共に、この群島に対する中国の主張は法的基礎のないものであると明言しました。

ホアンサ群島に対する領有権は不変であるということ - ảnh 1

(写真:tuyengiao.vn)

ベトナム外務省が、国連駐在中国代表部が2014年5月22日と6月9日に国連事務総長に送った書簡に記載したように、ベトナムは中国のホアンサ群島(中国名:西砂)に対する領有権の主張に反発しました。その理由は次の通りです。

中国が引用した資料によりますと、そもそもホアンサ群島に対する領有権が存在していない時代から、中国はこの群島に対する領有権を主張していた国ではありません。逆に、中国の史書によりますと、中国の領土にはホアンサ群島が含まれていないことが分かりました。その一例として挙げられるのは19世紀末、ホアンサ群島の付近でベロナ船と ウメジマル船が沈没し、その2隻の船の乗組員の資産が中国の漁民により奪われた事件のときで、中国はホアンサ群島に対する領有権を主張していないため、その事件の責任は負わないと強調しました。

そのような中、ベトナムはホアンサ群島に対する領有権を初めて主張した国となりました。特に、17世紀から、ベトナムの最後の封建時代であるグェン王朝はホアンサ群島で海産物を漁獲すると共に、この海域を航行する世界各国の船舶の安全確保のため、様々な活動を行いました。これらの活動はグェン王朝の行政文書に記録されています。

1874年と1884年に、ベトナムとフランスが保護協定を締結してから、フランスはベトナムの代わりに、ホアンサ群島での実効支配を引き続き行うと共に、この群島の領有権に対する中国の違反行為に反対しました。フランス植民地政権は、ホアンサ群島に灯台や気象台を建設したり、この群島に生まれたベトナム国民に出生届を発行したりしました。

第2次世界大戦が終結した前後に、ホアンサ群島とチュオンサ群島に対する領有権に関する問題が多くの国際会議で取り上げられました。1943年のカイロ会議と1945年のポツダム会議に参加した中国の当時の代表である蒋介石国家主席はこの両群島に対する中国の領有権にまったく触れませんでした。そして、1951年に開かれたサンフランシスコ講和会議に参加した世界の51の国々と地域の代表はホアンサ群島とチュオンサ群島に対するベトナムの領有権を承認しました。そして、1954年に開かれたインドシナ平和に関するジュネーブ会議ではホアンサ群島とチュオンサ群島を含めたベトナムの独立、領土保全の尊重が確認されました。中国もこの会議に参加しました。

これまでに、中国は2回にわたり、ホアンサ群島を違法に占拠しました。1956年、フランス軍がベトナムから撤退していることを利用して、中国はホアンサ群島の東部にある島々を占拠しました。そして、1974年、ベトナム戦争が終わっていないことを利用して、再び武力行使でホアンサ群島を占拠しました。

国際法から見ると武力行使で他国の領土を占拠するのは違法な行為で、領有権を主張する基礎とされることはできません。それらの根拠により、ホアンサ群島に対するベトナムの領有権が維持されているのです。

ご感想

他の情報