
現在、ベトナムでは30年間のドイモイ刷新政策の実施状況を総括する様々な活動が行われています。ベトナムの多くの識者(しきしゃ)らは「ベトナムはレーニンの新経済政策(ネップ)を創造的に導入しない限りは、ドイモイ政策の実施を成功させる事は出来なかった」との結論を出しました。
ドイモイ刷新政策実施前の1970年から1986年の間に、ベトナムでは私的所有が撤廃され、その代わり国家所有と集団所有が出現しました。その結果、農業生産が停滞し、食糧不足の状態が続いていました。殆どの企業や工場は赤字の状態に陥(おちい)って、各層の国民生活は深刻に低下しました。農村部の収穫時期でも、数百万世帯が食糧不足に悩みました。
そうした状況の中、1986年12月にベトナム共産党中央委員会第6回大会は社会主義への過渡期に正しい決定を出しました。ベトナム共産党はレーニンの新経済政策の理論と思想を創造的な導入と発展を認識しました。
それは先ず、多セクター商品経済の客観的存在を認めたということです。1979年に、ベトナムは新経済政策をベトナムの幹部に伝えるためにソ連の著名な経済の専門家、学識経験者を招きました。1982年12月末に、チュオンチン国会議長の指導の下に、ベトナムのネップ研究グループが発足しました。
同グループの一員だったボ・ダイ・ルオック経済専門官は次の思い出を明らかにしました。
(テープ)
「新経済政策は、商品経済から商品・金融関係へ転換した時期において非常に重要でした。この政策は2つの主要な思想を持つからで、それらは、まず、商品と金融の関係発展。次に、経済発展に国家資本主義を活用することです。」
一方、レーニンの新経済政策を研究していたホーチミン政治行政学院元院長のチャン・ゴク・ヒエン博士は次のように語りました。
(テープ)
「新経済政策の導入のお陰で、ベトナムは後発国から発展することができました。それは、市場経済へ転換した事です。当初の困難を乗り越えた後、中国やベトナム及び東欧諸国も市場経済への転換を進めました。この近道をどのように上手く導入できるかは、それぞれの政党の試練です。」
ベトナム共産党はレーニンのネップ新経済政策を基礎に、農業発展に尽力し、多経済セクターを発展させ、社会主義を志向する市場経済を実現し、労働者の利益に配慮しました。それだけでなく、ベトナム共産党はネップ思想を発展、拡大させました。経済専門官のボ・ダイ・ルオック氏は次のように語りました。
(テープ)
「1989年~1990年までに、ベトナムは商品経済ではなく市場経済を受け入れました。次に、ベトナムは市場開放、世界経済への参入を開始しました。しかし、レーニンの見解は、資本主義が農民に対し譲歩することに留まっています。しかし、ネップは命令主義、官僚主義、配給制度を撤廃し、新たな見解を切り開きました。」
ベトナムにおけるドイモイ事業の実現はまもなく30年目になります。今日の成果を収めたのは、ベトナムの過渡期の最初の段階に対するレーニンの新経済政策が、極めて重要な意義を持ったことだと評されています。