東京の南麻布にある日本電波ニュース本社を訪れました。案内された3階の部屋で,ホー・チ・ミン主席の写真やベトナム戦争の形見に囲まれ、ベトナム全国民が敬愛するホー・チ・ミン主席に関する感動的な話を聞きことができました。
同社代表取締役の石垣巳佐夫社長は、ベトナムと40年以上の付き合いがあり、次のように述べました」。
「私がベトナムに初めて行ったのは、1969年8月末です。ホー・チ・ミン主席の病状を聞いて愕然としました。9月9日、バーディン広場で主席の国葬に出た時、ベトナム全国民が泣き、自分たちの指導者を送る光景を目にしました。そのような歴史的な瞬間は、日本では見たことがありませんでした。」
「レー・ズアン第一書記、ファム・ヴァン・ドン首相、チュオン・チン国会議長といった方々にも涙が見えて、周りの人々からは号泣が聞こえてきました。ホー・チ・ミン主席に会ったことのない私も涙を流し、ベトナム人が呼ぶバクホー(ホーおじさん)という二文字の意義を深く感じました。」
石垣氏は日本電波ニュースのアルバムをめくりなから、さらに語ってくれました。
会社設立2年目の頃、1962年6月28日、創立者の故柳沢恭雄社長と記者団がハノイでホー・チ・ミン主席と会見しました。その時、写真家の小島氏は、大統領府の階段に座っているホー・チ・ミン主席の姿を撮りました。日本電波ニュースが初めて撮影したホー・チ・ミン主席の写真は、このような背景の中で生まれたのです。
それ以来、日本電波ニュースは、ベトナム民族解放の戦いとホー・チ・ミン主席に密着しました。
2枚目の写真は、1965年5月1日のメーデー集会で同社の写真家鈴木利一氏撮ったもので、偉大なる指導者の身近な姿を生き生きと表現しています。差出
1966年、日本電波ニュースの記者団は、大統領府でホー・チ・ミン主席と再び会いインタビューする機会を得ました。ホー・チ・ミン主席は、メンバーの一人ひとりと挨拶を交わし、ベトナム戦争に関するドキュメンタリーの制作を同社に委嘱しました。ホー・チ・ミン主席は、「歴史を戻すことはできないが、ドキュメンタリーとして記録することによって歴史的価値を正しく認識することができる」と強調しました。そして、きれいな花を選び、鈴木氏と記者一行に差出して「きれいに撮れましたね」と褒めるホー・チ・ミン主席の姿は彼らにとって最も感動的でありました。
1969年に撮られたホ・チ・ミン主席と子供たち」の写真は、保存版ドキュメンタリーがある最後の写真である。当時、ベトナム戦争は最も段階に入っていて、当時のメンバーたちは、この時がホー・チ・ミン主席と会えるのが最後になるとは思いませんでした。
石垣氏は、ホー・チ・ミン主席が、困難な戦時下にありながらも抜群の指導力と偉大な思想を表したことを先輩から聞き、「素朴で高潔で国のために生涯を捧げた方」と感嘆しました。贅沢な生活をすることもなく、全国民に愛された指導者の姿と思想は、これからもベトナム、日本、そして世界の人々の心に永遠に生き続けるでしょう。
日本電波ニュース社は、ホー・チ・ミン主席からドキュメンタリー制作の委嘱を受け、南ベトナム解放までの間、ハノイに支社を設置しました。そしてベトナムに関する数千のドキュメンタリー、記事、ニュースや写真を生み出しました。
現在、本社内の部屋は、ホー・チ・ミン主席の写真とベトナム人民の英雄の歴史に関する貴重な資料を展示する小さな博物館になっています。1972年のパリ和平会議におけるスアン・トゥイ・ベトナム民主共和国政府交渉団長の写真、1967年9月にハノイのフエ通りで戦闘機が撃ち落されて捕えられた米兵に対するインタビューの写真、水筒の水を飲みながら勝利の喜びを分かち合う人民軍たちの写真などが置かれています.ホー・チ・ミン主席と会ったことのある日本電波ニュース関係者は、今はほとんどいなくなってしまいました。しかし、ベトナム民族の偉大なる指導者で傑出した政治家であり文化人であるホー・チ・ミン主席の貴重な写真が、日本の首都・東京で、今も宝物のように保管されていることはあまり知られていません。