ベトナムの声放送局の日本語放送が開始されて6年後の1969年から72年までの3年間、日本人スタッフとして、取材・翻訳・アナウンスなどをしていた東京都府中市の加藤 長さんは、ベトナム・日本国交樹立40周年特別番組に3本ものエッセイをお寄せくださいました。加藤さん、どうもありがとうございました。今後とも宜しくお願いします。
さて、前回では「ホー・チ・ミン主席の葬儀」と名づけられたエッセイを紹介しましたが、今回は、2本目の「ニクソン大統領の中国訪問」をタイトルにした今から42年前の1971年7月の日本語放送のエピソードを一つ紹介します。
「当時から、日本語放送では日曜日に「ハノイ便り」の番組があり、私がその原稿を書く担当をしていました。ご存知のように、7月20日はベトナムに関するジュネーブ協定の締結記念日で、毎年ベトナムの声放送局では、アメリカがジュネーブ協定に違反して、南ベトナムのかいらい政権を支援し、ベトナム侵略を続けていることを批判する番組を組んでいました。この年は、7月18日が日曜日で「ハノイ便り」が放送されましたが、私はジュネーブ協定の問題をテーマに選び、当時のニクソン政権がベトナム侵略を続けていることを、「いかなる小手先の小細工を弄したところで、アメリカは戦場での劣勢を挽回できない。ベトナムとインドシナの人民は必ずこれを粉砕するでしょう」と批判しました。
当時は、日曜日はスタッフが休みをとるため、ハノイ便りは、二、三日前に録音して、日曜日に録音を流すようにしていました。放送原稿は日本語課のトン課長が目を通して、「オッケー」を出し放送される仕組みになっていました。
ところが、その直前の7月16日にとんでもないニュースが入って来ました。ニクソン大統領が翌年5月前に中国を訪問することで中国側と合意した、というニュースでした。中国は「文化大革命」中でしたが、アメリカと戦争しているベトナムを支援していました。それが、アメリカ大統領を迎え入れるというのですから大きな驚きで、これに対してベトナム民主共和国政府がどんな反応をみせるか、世界中の注目が集まりました。
しかし、ベトナム側がニクソン訪中への批判の態度表明をしたのは、7月20日付けの新聞ニャンザンの社説で、それまで4日間は沈黙が続きました。
その間に、日本語放送のハノイ便りが放送され、東京からは、ハノイ放送が「小手先の小細工」と初めてニクソン訪中を批判したというニュースが入ってきました。
私は、「ハノイ便り」にそんなことを書いたことを忘れかけていましたから、びっくりしました。まさか、日本でそんな解釈をされるとは思ってもいませんでした。
でも、その2日後のニャンザン社説の「あくどい計略」「欺瞞的手段」という表現は、ハノイ便りの「小手先の小細工」とほぼ同じ趣旨だったのでホッとしました。この経過を通じて、私はラジオ放送の重要性、国際政治の怖さを強く感じさせられました。」