半世紀にわたり日本人の夫を思い続けたあるベトナム人女性(上)
これはおよそ半世紀以上前の話です。あるベトナムの女性が日本人の夫と離れ離れで生活せざるを得なくなりました。この夫婦は数年後、再会することを約束しましたが、その後、戦争、そして、様々な客観的な要素により、その約束は叶えられませんでした。ベトナムに残された女性は一人で生計を立て、3人の子育てをしながら、夫を待ちました。
思い出を語るスァンさん(写真 小松 美雪)
あれから50年以上が経ち、その夫婦は初めて再会しました。そのベトナムの女性はグェン・ティ・スアンさん、日本語の意味は春子さんです。現在、スアンさんはハノイ郊外で静かに暮らしています。隣には長男夫婦の3階建ての家がありますが、自分が年寄りで、静かさが好きですから一人で古い家に住んだほうがよいと言いました。スァンさんのベッドの脇の壁には日本人の夫が若い頃に撮ったモノクロ写真と別れる直前に撮った夫婦と子供3人の写真など色々な写真と日本から送られてきた誕生日を祝うカードなどが壁一杯あります。スァンさんは今年85歳を超えましたが、頭はしっかりしていて、声も元気で、小柄なお婆さんですが、テキパキとした行動。スァンさんは夫が日本から送った誕生日祝いのカードを嬉しそうに見せてくれました。
(テープ)
「送ってもらったばかりの誕生カードだよ。まだたくさんあるんだよ。。。」
かつて、フランス植民地主義者との戦いが終結した1954年、当時のベトナムでの戦争に参戦した日本人兵士の中には、志願してベトナムに残る日本人がいました。彼らは「新ベトナム人」と呼ばれました。これらの日本人はベトナム女性と結婚して、子供をもうけました。彼らはベトナムに残り生涯をベトナムで過ごす予定でしたが、時局の変動により、これらの日本人兵士は帰国せざるを得なくなりました。スァンさんの夫も例外ではありません。
スァンさんの夫のベトナム名はグェン・バン・ドクです。ドクさんは元々日本の高級士官で、ベトナムがフランス植民地支配下にに置かれていた時代にベトナムに派遣されてきました。彼はベトナムが独立を勝ち取ってからもベトナムに残り、やがて始まった対フランスとの戦争にも参加しました。当時のことについて、スァンさんは次のように語りました。
(テープ)
「彼はベトナムの革命に参加しました。彼は革命組織の結成に力を入れ、とても大変でした」
また、ドクさんとの出会いについて、スァンさんは次のように話しました。
(テープ)
「当時、私は北部港湾都市ハイフォン市のダウカウ地区にある店で食べ物を売っていました。その時、私は16~17歳ぐらいでした。祝日や休暇の日、彼はお酒やビールが飲めないのに、私の店に来るとビールを買ってから、フォーを買いました。そして、彼は私に「君は恋人がいるか?」と尋ねました。私は「いません」と答えました。そして、彼は「僕は君が好きです」と言ったのです。そして、私たちは手紙を交わしていました。簡単な日本語なら私はできますよ。それは1942~43年の頃です。そして、1944年に結婚しました」
1954年7月、ディンビェンフー作戦でのフランスの敗戦をきっかけに、インドシナ戦争に関するジュネーブ協定が締結されました。 その年の11月、ベトナム政府は人道的な理由で、ベトナムに残されていた日本人兵士を祖国に帰国させました。ドクさんを含め、多くの日本人兵士も帰国せざるを得なくなりました。当時の国際情勢の事情で、妻子をつれて帰国することはできませんでした。
(続く)
スァンさんの物語第1回目はこれで終わります。来週はこの続きをお送りします。次の時間にまた、お会いしましょう。