このイベントは、抗米救国闘争時(ベトナム戦争中)に、中部ゲアン(NgheAn)省ドルオン(DoLuong)県ミーソン(MySon)村にあるチュオンボン(TruongBon)坂で、犠牲になった13名の青年突撃隊の冥福を祈って行われました。

当時、南部戦場に赴く輸送車を妨害する為に、アメリカ軍は、南部へ繋がる唯一の道路のチュオンボン坂に爆弾を投下しました。しかし、これらの輸送車が途絶えることなく進行できるように、若い突撃隊たちは、爆弾で破壊された道路の陥没や穴の補修任務を担いました。1968年10月31日に、18歳から22歳までの女性12人と男性2人の14人はチュオンボン坂の路面補修工事に当たっている時、突然、アメリカ軍による連続爆弾の投下を受け、13人が犠牲になった惨事です。生き残ったのは一人だけでした。現在、13人の青年突撃隊が犠牲になった地名「チュオンボン」は、歴史的地区となっています。

       トンさん(左)

交流会で、歴史の生き証人は、当時の話や、青年突撃隊の勇敢な犠牲などについて語りました。生存者チャン・ティ・トンさんは次のように述べています。

(テープ)

「当時、私たちの共通の夢は、アメリカ軍が爆弾投下を止めて、国に平和がやって来て、皆が家に戻り、高齢の両親の面倒を見たり、幸せな結婚生活を送りたいということでした。しかし、その夢は実現できませんでした。それらの夢を思えば思うほど、胸の奥がちくちくと痛み、犠牲になった友達を思い出します。」

一方、第4管区の元司令官ドアン・シン・フォン中将は次のように明らかにしました。

(テープ)

「私は、2度もチュオンボンを通りました。その度に、爆弾が雨のように投下されたという危険な条件の下で、路面の穴の充填、輸送車の走行の指導などに当たっている青年突撃隊たちに会いました。彼らは、両手、そして鍬や鋤などの粗末な道具で道の穴を充填ていました。そんな大変な時に、笑い声、歌い声が聞こえてきました。本当に忘れられない記憶です。」