高野さんは1967年から12年間にわたり、ベトナムで活躍しました。1978年2月、高野さんは赤旗新聞の記者として北部山岳地帯ランソン省に赴き、ベトナムの北部国境線を守る戦争を取材しました。1979年3月7日、高野さんは北部ランソンの町で取材中、中国軍の狙撃()を受け、犠牲となりました。35歳でした。ベトナム学・ベトナム語科のグエン・ティエン・ナム学科長は次のように語りました。

(テープ)

「高野さんは1967年~1971年期のベトナム学・ベトナム語科の元学生でした。彼は日本とベトナムの文化を結ぶ架け橋となりました。というのは『母さんはお留守』、『白い制服』などベトナムの有名な小説を日本語に翻訳したからです。」

偲ぶ会では、高野さんが写した写真やベトナムでの活躍ぶりが同僚の写真家でジャーナリストの中村・梧郎氏の写真が紹介されました。