115年前の1911年6月5日、旧サイゴン・ザーディン市、現在のホーチミン市にあるニャロン港から、愛国青年グエン・タット・タイン、すなわち後のホー・チ・ミン主席は、客船アミラル・ラトゥーシュ・トレヴィル号に乗り込み、ベトナムを離れました。ここから、およそ30年に及ぶ救国の道を探す旅が始まりました。
これは、ベトナム民族の歴史における大きな転換点を示す節目であると同時に、20世紀初頭のアジアにおける世界との交流と接触の過程を象徴する出来事でもあります。
ベトナム国防戦略・歴史研究所副所長のグエン・バン・サウ少将・准教授・博士によりますと、1911年6月5日の出来事は、ベトナムの民族解放運動に新たな方向を開きました。救国の道をめぐって行き詰まっていたベトナム民族は、時代の発展の流れに合った革命の道を見いだしたのです。
歴史は、1911年にグエン・タット・タインが行った歴史的な選択を起点として、ベトナム革命が勝利から勝利へと進み、民族の独立、国家の統一、そして今日のドイモイ刷新事業と広範な国際統合を実現してきたことを証明しています。
115年が経った今も、ホー・チ・ミン主席の救国の旅から生まれた価値は、祖国の建設と防衛の事業において、深い現代的意義を持ち続けています。この出来事は、民族独立と社会主義を結び付ける目標の永続的な価値を改めて確認するものです。
ホー・チ・ミン主席と党の指導者研究所の元所長、グエン・ミン・チュオン准教授・博士は、次のように述べました。
(テープ)
「『ベトナムは一つ、ベトナム民族は一つ、独立と自由ほど尊いものはない』という精神のもと、ベトナムの国と民族は侵略勢力に勝利し、祖国の独立と統一を守り抜きました。そして、社会主義へ向かう国の発展の道を歩み続けています。ホー・チ・ミン主席、ベトナム人民、そしてベトナム共産党が選んだ革命事業は、必ず勝利を収めるでしょう。ベトナムは世界の国々と肩を並べる国となり、独立の権利、自由の権利が保障され、人民はホー・チ・ミン主席が独立宣言で願ったように、豊かで自由で幸福な生活を享受することになるでしょう」
国際的な視点から見ると、大阪大学の清水政明教授は、当時グエン・タット・タインと名乗っていたホー・チ・ミン主席が、単に植民地出身者として世界に接したのではなく、国境を越えた実践的な経験を通じて、西洋社会、植民地、国際労働運動を直接観察したことに注目しています。
それにより、ホー・チ・ミン主席の中に、当時のアジアではまれなグローバルな視野が形成されたとしています。この出来事の深い意義は、近代化と民族解放の歩みが、実体験と国際的な対話を通じて世界から学ぶことと常に結び付いているという認識にあります。
