(写真:AFP/TTXVN)

ロシア第2の同市は、旧ソ連時代にはレニングラードと呼ばれ、1941~44年に872日間にわたってナチス・ドイツ軍に包囲されました。当時の人口は約300万人です。市内への物資の供給が絶たれ、パンの配給は肉体労働者で1日250グラム、一般市民では同125グラムにまで減らされました。飢えや病気、砲撃などで80万人以上が命を落としたとされますが、実際の犠牲者数はもっと多いと歴史家は指摘しています。

サンクトペテルブルク中心部の宮殿広場では27日、戦車や防空ミサイルシステムによる軍事パレードが行われました。最新鋭兵器のほか第2次世界大戦中に名をはせたT34戦車も登場し、氷点下11度と冷え込む降雪の中、大勢の人々がパレードを見守りました。

プーチン大統領はパレードには姿を見せず、市郊外にあるレニングラード包囲の記念施設と犠牲者が眠るピスカリョフ記念墓地を訪問しました。その後出席した追悼コンサートで、「難攻不落の街」を餓死させようと試みレニングラード住民を「すさまじい苦痛」にさらしたナチスは、決して許されないと述べました。

同地出身のプーチン大統領は戦後生まれですが、レニングラード包囲の際にまだ幼かった兄を亡くし、母親も餓死寸前まで追い込まれました。兄はピスカリョフ墓地に埋葬されています。