1993年7月1日、ベトナム声放送局(VOV)のテイグエン支局による少数民族エデ族の言語放送番組が開始されました。それ以来、他の少数民族の言語、例えばジャライ語、バナ語、セダン語、コホ語、ムノン語などの番組が次々と開設され、各民族コミュニティを結ぶおなじみの架け橋へと発展してきました。毎日定時に行われる放送の裏側には、テイグエン地方の少数民族の話し言葉や文字を守るため、記者や編集者、専門家たちが静かに学び、知識を深めてきた地道な歩みがあります。
過去33年間にわたり、番組冒頭の挨拶は、現地住民が農作業に向かう時も、道を歩く時も、あるいは車中にいる時も、生活の一部として親しまれるようになりました。VOVのテイグエン支局のジャライ語放送番組の立ち上げ当初から携わってきた編集者のナイ・ジェット(Nay Jet)さんは、番組制作が始まった当時、日常会話の言葉は簡単だったものの、教育、医療、科学、政策といった専門的なテーマを伝えるための語彙が圧倒的に不足しており、非常に苦労したと振り返りました。
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「当時、多くの概念は、集落の人々の暮らしの中に存在すらしていませんでした。中央機関や、地方行政府などの名称を翻訳することさえ、大きな壁でした。そのまま直訳しようとすると、全編の6割が共通語のベトナム語になってしまい、リスナーからも『共通語が多すぎる』との指摘を受けました。そのため、私たちは集落の長老や知識人、さらにはジャライ語が話せる多数派民族キン族の人々を訪ね、新しい言葉に出会うたびに手帳に書き留めました。すべてがゼロからのスタートでした。私たちは、世界180カ国以上の国家元首の名前や、政府のあらゆる役職名を一つひとつジャライ語に書き起こしていきました」
放送に携わる人々にとって、話し言葉だけでなく「文字」もまた大きな試練でした。一部の重要な記号がコンピューターの入力ソフトに対応していなかったためです。手書きの時代は比較的単純でしたが、コンピューターやデジタル環境へと移行し、国営放送のウェブサイトに掲載するようになると、この問題が顕著になりました。この課題を乗り越えるため、2003年から2005年にかけて、編集者のナイ・ジェットさんとエンジニアのヴォー・ンゴック・ヒエップさんは共同研究を行い、テイグエン地方の文字専用の入力ソフト「テイグエンキー」を開発しました。
(テープ)
「当時は、ただ放送のために文字を正しく入力したいという一心でした。将来的にウェブサイトの番組配信にまで役立つとは想像もしていませんでしたが、このソフトのおかげで、文書を作成する際も少数民族の文字を非常にスムーズに入力できるようになりました」
地方への取材に赴く際、国営放送の記者たちは集落の人々に母語でのインタビューを求めますが、多くの住民は「母語には対応する言葉がないから」という理由で共通語で答えてしまいます。だからこそ、30年以上の長きにわたり、テイグエン地方の民族語放送のスタッフたちは、現地に眠る言葉を一つひとつ、静かに掘り起こす作業を続けてきました。
セダン語放送番組の編集者であるニャット・リサさんは次のように語っています。
(テープ)
「民謡やゴングの音色は、他には代えがたい、民族の深い魂そのものです。音楽は常に集落の人々の血肉として流れています。そのため、民族語放送番組の音楽は単に番組を彩るだけでなく、情報を人々の心に届ける架け橋でもあるのです。正しい言葉と、心を揺さぶる音楽が揃って初めて、ラジオ番組はリスナーの心に深く残り続けることができます」
(写真: Đình Tuấn/VOV-Tây Nguyên)
現在、テイグエン地方の民族語放送は、若い世代の編集者たちへと徐々に引き継がれています。彼らはラジオの枠を超え、デジタル空間へと進出しています。エデ語放送番組の編集者であるハ・ザウット(H’Zawut)さんは、放送業務の傍ら、エデ語とベトナム語の二言語本の編集や、子ども向けの夏休みの教室・活動を主催しています。彼女が最も心を砕いているのは、どうすれば多くのエデ族の若者が母语を話し、守っていけるかということです。
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「民族語放送に携わる者は、言語を守るだけでなく、その言語をより生き生きとした、身近なものにする責任があります。私は自分の職業と知識のすべてを捧げ、人々がエデ語に触れる機会を増やしたいと考えています。今の若い世代が育んでいかなければ、いつか言葉はただの記憶になってしまいます。エデ語が単に保存されるだけでなく、未来に向けて発展していくことを願っています」
30年以上にわたり、テイグエン地方の少数民族の母語という「砦」を守るため、ベトナム国営放送のスタッフたちは集落を巡り、失われかけた言葉を探し求めてきました。そして今日、若い世代の編集者たちは、インターネットという膨大な情報の大海の中で、母語を守る新たな方法を模索しています。
