1968年のテト攻勢とは、ベトナム戦争中の1968年1月末、北ベトナム人民軍と南ベトナム解放民族戦線が旧正月テトを利用して、南ベトナム全土100以上の都市へ一斉に仕掛けた大規模な奇襲攻撃です。北ベトナム側にも多大な犠牲が出た一方、アメリカ国内での反戦運動の活発化につながり、戦争の大きな転換点となりました。
【録音】(遺骨捜索作業中の物音)
現在の捜索が実現するまでには、長年にわたる入念な準備がありました。数十回に及ぶ証言者への聞き取り、数千ページの資料照合、そして現代科学の手法を用いた幾度もの調査が積み重ねられてきたのです。
物語は2018年に始まりました。烈士の遺族であり建築家でもあるグエン・スアン・タン氏は、インターネットで情報を探していたところ、偶然一枚の歴史的な写真を目にしました。多くの遺体が埋葬を待つ光景でしたが、当時は誰が、いつ、どこで撮った写真かを示す情報が一切ありませんでした。あきらめずに写真の細部を分析し続けたタン氏は、次のように振り返ります。
【録音】
「何年も経って、ようやく2枚目の写真を見つけました。消毒薬の瓶を手にした男性が墓地に立つ写真で、背景には住宅地の街並みと給水塔が写り込んでいました。何度も照合を重ね、そこが現在のレ・ティ・リエン公園であることを突き止めたのです。そして重要な転機となったのが、AP通信のカラー写真です。説明文には、1968年2月12日、サイゴンの作業員たちが3番目の墓穴に烈士や市民を埋葬している様子だと明記されていました。」
場所と時期が明確になったことを受け、専門家チームは航空写真や衛星画像を、1969年、1972年、1975年など異なる時期のものと繰り返し照合し、現在の地図とも重ね合わせて検証を進めました。国防省参謀本部作戦局副局長のブイ・イエン・ティン大佐は、次のように評価します。
【録音】
「専門家チームの資料は、情報収集から分析まで非常に入念に作成されています。研究全体は2018年11月から2026年5月まで、およそ8年に及びました。中でも、3枚の写真が現在のレ・ティ・リエン公園、かつてのチーホア・チョークワン墓地で撮影されたと特定するだけで、4年の歳月を要しています。」
研究者たちが写真や地図から墓穴の痕跡をたどるなか、当時を知る証言者たちも貴重な情報を寄せました。
【録音】
「1968年のテト、銃撃戦の翌朝、私は友達と墓地に遊びに行き、集団埋葬の様子を目にしました。」
【録音】
「オンター・バイヒエン一帯で激しい戦闘があった日、ヘリコプターが何機もロケット弾を撃ち込んでいました。好奇心から見に行くと、遺体安置所の脇に数十体もの遺体が集められていました。」
証言と科学的なデータを組み合わせ、研究チームは徐々に有力な地点を絞り込んでいきました。第7軍管区のチャン・チー・タム少将は、公園に埋葬されている可能性のある烈士の数は900人から1000人にのぼるとみています。
【録音】
「写真に写っていた『メテイ』の木と給水塔という2つの重要な目印は、今も現存しています。研究チームの資料と参謀本部の検証は非常に正確で、この2つの目印が今後の作業を進める拠り所となります。」
レ・ティ・リエン公園の木々の下では、いま一層一層、土が慎重に取り除かれています。一振りの鍬、一つひとつの遺品に、1968年のテト攻勢で倒れた烈士に名前を取り戻し、幾十年もの歳月を経て故郷へ帰したいという願いが込められています。
