統一会堂はホーチミン 市の中心部にあり、総面積2000平方メートルを超える広大な施設に100室、美しい装飾と現代的なベトナムの美術や工芸品を 所有する市内でも最も人気のある観光スポットとなっています。統一会堂の建設は、かつて「フランス領インドシナ」として植民地下においていたフランスによって1868年から始まり、1873年に工事が完了しました。1955年にベトナム共和国(南ベトナム)が成立した後には「独立宮殿」と改名されました。
現在の建物は1966年に、南部ベトナムの建築家のゴ・ベト・トゥーにより4階建ての現代建築として再建され、ベトナム戦争終結までベトナム共和国の大統領府及び官邸とされ使用されました。1975年4月30日のベトナム戦争終結時に、サイゴン市内に突入した北ベトナム軍の戦車が当時は大統領府であったこの建物のフェンスを破り突入、サイゴンは陥落しました。これを機に歴史的なベトナム戦争は終結する ことになりました。
1976年に、共産主義の統一国家であるベトナム社会主義共和国が成立した後にかつての独立宮殿は「統一会堂」と改名されました。現在は南ベトナム大統領府当時のまま保存され、事実上の博物館として一般公開されているほか、建物内の一部の部屋は国際会議などで使用されています。統一会堂には、南ベトナム大統領の貴賓室や国内外からの賓客応接室、内閣会議室などなど、壮麗な調度品を備えた部屋も数多く並んでいます。
また、大きな台所がありました。日本の会社から納入された什器も使われていたようです。[Akimoto]というラベルの付いた大型の調理器具が何台か置いてあります。統一会堂遺跡管理委員会のブィ・テ;イ・ハン(BUI・THI・HANG)さんは次のように語りました。
「テープ」
「この間、統一会堂遺跡管理委員会のメンバーは増員されています。現物の研究、収集、保管をしている私たちはその仕事に全力をあげて取り組んでいます。」
ハンさんはこのように語りました。
手入れの行き届いた統一会堂の庭先に見えきたのは2台の戦車です。1975年4月30日、この門をベトナム解放軍の戦車が無血入場し、事実上ベトナム戦争は終結 しました。全世界に報道されたその映像がまだ記憶に新しいという方もおられることでしょう。
そこは南ベトナム時代の大統領官邸としてのきらびやかな表 情と、軍事会議室や脱出のためのヘリポートなど随所にみられる戦争という歴史、そしてこれからの統一とうい未来に向けたメッセージが感じられます。この戦車で統一会堂に突入した復員軍人レ・バン・フォン LEANPHUONG)さんは次のように語っています。
「ホーチミン市に行き、統一会堂のドアを手にすると、感動します。35年以上たちますが、当時の激しい戦い及び勝利の楽しい雰囲気は今なお頭に残っています。今人々は平和な時代に暮らしていますが、国が戦争の危機に陥った場合、「敵と戦って、国をまもる」という伝統を引き続き発揮してゆくと思います」
フォンさんはこのように語りました。
現在、統一会堂は何回も改修されていますので、前と比べて、より綺麗になっています。統一会堂遺跡委員会のブイ・ドク・フィ委員長は次のようにに語りました。
「テープ」
「前には、統一会堂は傀儡政権の最高機関で、一般人民は入場することが出来ませんでした。4月30日の勝利のあと、統一会堂は全国民の財産となり、また、出会い場となっています。私たちはこの会堂を保存する任務を持っています」
フィ委員長はこのように語りました。
統一会堂はベトナム国内から外国の観光客の魅力的な観光スポットとなっています。