伝説によりますと、1783年には、グェン・アン王は、タイソン軍に負け後コンダオ島に逃げてきました。グェン・アン王がタイソン軍と戦う為、フランス軍を当てにする意図があったことを知ったフィ・イェン王妃はグェン・アン王を諫めましたが、王に怒られ、コンダオ島の洞窟に閉じ込められました。その後、フィ・イェン王妃は自殺。その後は住民たちは、王妃の功労を思い出す為、王妃が自殺した所に「アンソン」廟を建設し、毎年旧暦10月18日を王妃の命日にしました。祭りと見られているフィ・イェン王妃の命日を行うため、準備作業は一ヶ月前から行われます。コンダオ県のそれぞれの地方は異なる任務を担います。第2居住区に住んでいるグェン・ティ・ゴク・テェットさんは、次のように語っています。「テープ」
「王妃にオコワや果物、もち米と豆緑、豚肉から作ったテットというお菓子などを供えますよ。これらの供え物は、各居住地の住民が自分達で作ったものですよ。ここの住民たちは、王妃を母親のように見られています。これを機に、お料理コンクールなどの催しも開かれます」
テェットさんの話でした。
現場の肉声
コンダオは静かな所ですが、フィ・イェン王妃の命日が来やってますと賑やかになります。老人から子供まで人々が集まります。コンダオ県遺跡管理委員会のファム・ティ・タム副委員長は、次のように語っています
「テープ」
「毎年、コンダオでは、フィ・イェン王妃の命日が祭りとして行われています。今年の命日は226回目になりました。旧暦10月17日には、民間遊戯や料理コンクールなどが開かれます。又、果物やもち米ご飯のオコワも王妃に供えられます。コンダオの住民だけでなく、近隣地方の住民たちもここに足を運び、線香をあげますよ」
タム副委員長は、このように語りました
現場の肉声
この時期は、住民たちはのんびりした瞬間を迎えます。今年77歳になったグェン・ティ・ラさんは、次のような感想を述べました。
「テープ」
「フィ・イェン王妃の命日になりますと、旧暦10月17日午後4時から私は来ますよ。人が大勢いますよ。国が統一されて以来、王妃の功労に報いる祭りは大規模で行われています。祭りに参加して歌を聴くことが出来て、楽しいですよ」ラさんはこのように語りました
又、レ・バン・タオさんは、次のように語りました。
「テープ」
「私は、毎年、祭りに参加しています。すべての団体、人々は果物やお菓子をフィイェン王妃に供えます。この祭りの開催は住民たちの習慣になっていますよ」タオさんは、このように語りました。
現場の肉声
フィ・イェン王妃の命日は、コンダオ県の住民たちの精神的な安らぎとして住民たちにとって幸せを祈る機会にもなっています