今から70年前つまり1947年の旧正月テトの大晦日に、ホーチミン主席は初めて、VOVベトナムの声放送局を通じて詩を詠んで国民にテトのお祝いをしました。それ以来、新年を迎える瞬間、ベトナムの人々はラジオをつけてホーチミン主席のテト祝いの詩の朗読を聞くようになりました。1969年9月に死去したホーチミン主席はテト祝いの詩を合計で21点を創作し、ラジオで詠みました。
(テープ:テト祝いの詩を詠むホーチミン主席の声)
民族性溢れる詩
ベトナムの有名な詩人ヴォン・チョンさんは今年74歳ですが、今もなお大晦日の夜、ラジオをつけてホーチミン主席のテト祝いの詩を待つ感じを覚えています。チョンさんの話です。
(テープ)
「当時、ラジオのない我が村は軍隊の師団の駐屯地に近いので、村人はその駐屯地のラジオ機と結ぶスピーカーを設置しました。水曜日の夜9時半ごろ、村人は集まって「詩の声」という番組を、そして、 土曜日の夜、「ラジオのステージ」という番組を聴きました。特に、大晦日の夜、だれもが何もせず、ホーチミン主席のテト祝いの詩を楽しみました。」
ホーチミン主席のテト祝いの詩は、詩の決まりごとをきちんと守りながらも、国民に理解してもらうために分かりやすさを大切にしていたと評されています。そして、テト祝いの詩には、どうしても独立と自由を守るというベトナムの人々の決意と精神がよく見られていました。先ほどの詩人ヴォン・チョンさんは、1969年のテトに作られたホーチミン主席の最後の詩はその代表的な詩であったと述べ、次のように話しています。
(テープ)
「私たちは、ホーチミン主席がラジオで詠んだこの詩を聴くだけでなく、ベトナムの声放送局の合唱団がこの詩をモチーフにしての歌を楽しみました。この詩は、最初はアメリカをベトナムから追い出し、その後、サイゴンかいらい政権を倒すという道のりを描きましたが、ベトナム革命はその通りに辿りました。」
新年に楽観視を与える詩
激しい戦争の中で、ホーチミン主席のテト祝いの詩は国民にとって大きな励みになりました。その詩は、希望と楽観的な視を与えてくれるのです。解放放送局の元記者チャン・ドゥク・ヌオイさんは次のように話しています。
(テープ)
「現在も、国家主席は大晦日の夜にテト祝いの詩をマスメディアで詠んでいますが、こうした素晴らしい精神を持つのはホーチミン主席の詩以外にないでしょう。ホーチミン主席の詩は、勝利への希望や、勝利のための行動などがいっぱいなんです。私たちは、こうしたホーチミン主席の詩の精神を発揮して、希望をたくさん持ちながら、国を発展させるために行動しなければなりません。最近、政府は、「建設的・清廉・行動する政府づくり」という方針を掲げていますが、それはホーチミン主席の詩の精神を受け継ぐものです。」
VOVベトナムの声放送局を通じて大晦日の夜にホーチミン主席のテト祝いの詩を聞くのはすべての国民の習慣でした。ホーチミン主席がこの世に生きてはいませんが、その詩の精神は今もなお、人々の心の中に残っています。