2011・2020年期におけるベトナムの人材育成戦略において、ベトナム政府は人材が国の持続可能な発展並びに国際社会への参入事業に向けての重要な基礎であるという目標を掲げています。その目標を達成するため、専門職業学校は地域諸国と競争力を向上させる必要があります。
解放されてからこの40年間、ホーチミン市は多くの困難を乗り越え、大きく発展し、国の経済、文化、教育、科学技術の中心地となっています。ホーチミン市の発展は全国の発展事業に重要な貢献をしてきたと評されています。
ベトナム戦争後、サイゴンかいらい政権の多くの高官や、幹部、職員は海外に亡命せず、国内に引き続き住むことを選びました。過去のことを棚上げにして、全 国民はこれらの人々とともに、力を合わせ、国の発展事業を進めてきました。これはベトナムの民族和合精神を示すものとされています。
2012年、ベトナム戦争のアメリカ帰還兵グループは恨みを閉ざし和解し、かつての戦場を花園にし、2つの戦前にいる生き残った兵士が互いに出会い、過去の教訓を考え、戦争の後遺症をいやすというメッセージを伝えるため、ベトナム戦争に関するドキュメンタリー映画を制作しました。
ベトナム北部フート省はベトナム建国の祖フン王の故郷であり、有名な民謡「ハットスァン」の発祥地でもあります。
現在、ベトナムは、17の世界遺産がユネスコ教育科学文化機関から認定されています。
ベトナムとオーストラリアは、長年にわたり、貿易、国防、教育養成などの分野において協力関係を持っています。
チュォンサ群島はベトナム中部カンホア省の沖合いにあります。
ホンチュオイ島は南部最南端カマウ省チャン・バン・トイ県ソンドク町から沖へ約35キロのところにあります。
南部チャビン省ティエウ・カン県タン・フン村は、ベトナム身体障がい者・身寄りのない孤児保護協会から繁殖牛の飼育を試験的に行われる唯一の村となっています。
アメリカのロックフェラー財団の支援を受けて、この3年間実施されてきた「ダナン市における台風に強い住宅・気候変動に対応できる都市のため」というプロジェクトは、現地の貧しい300世帯の家庭に恩恵を与えています。
大昔からベトナムに伝わる風習によりますと、「大晦日にネウ( Neu)という木を入り口に立て、7日目に、取り去ります。家の前にネウの木を立てるのは悪魔を追い払うとともに一年の平穏無事をもたらす意味があります。
チュォンサ群島はベトナム中部カインホア省にあります。今、島では新春の雰囲気に包まれています。牛肉、米、漬物、食品、野菜などの多くのテト用品が陸から群島に相次いで運ばれて行きます。海軍兵士らは離島で陸での故郷の味に溢れるテトを迎えるための準備を急いでいます。
ベトナム国民は伝統的正月テトを楽しんでいます。しかし、テトとはいえ、各地方によって、習慣は多少違います。これはベトナム文化の多様性を作る要素の1つです。今日のこの時間はハノイ市民とホーチミン市民のテトを迎えるための“花遊び”をご紹介します。
ベトナムに赴任する多くの外国人外交官は、まるでベトナムを第二の故郷のように見なしており、もっと長くベトナムに勤めていたいという気持ちを表わしています。
旧正月テトはベトナム人にとって、一年の中で最も重要な行事です。ベトナム人はテトが近ずくるとすべてのものを新しくしなければならないと考えています。ですから、「送旧迎新」習慣が重視されています。
旧正月テトが近づいています。第5区海軍司令部の637号艦船は波を越えながら、沖合いに向かっています。テト用品を運ぶこの船はトチュ島、ホンクァイ島、ホンチョウ島、ナムズ島、ホンドク島に寄港しながら、それらの島に駐屯している海軍兵士が新春を迎えるため、様々なプレゼントを寄付します。
ベトナムの伝統的旧正月テトを目前に控えた今日のこの頃、南部キェンザン省フーコック県トゥチャウ島にある漁村は温かい気候に包まれています。トゥチャウ島の周りに百隻もの小舟が並べられ、漁村の人々はテトの準備で忙く過ごしています。
毎年、テトがやってくる度に、ベトナム人だれもが浮き浮きしています。ベトナム人にとってテトは神聖な意義があるからです。遠くに行った人もみんな一家団欒の一時です。ベトナムに在留している日本人を始め、外国人はベトナムの旧正月テトは特別な意義があると感じています。VOV=ベトナムの声放送局の日本語放送は3人にインタビューしました。
この1年間あまり、ベトナム青年連合会中央委員会は「生徒向けの寮建設プログラム」を提唱しました。