西側の地質学者:「ホアンサはベトナムの領海に属する」


16世紀から19世紀にかけて、西側諸国の地質学者や航海者、地図学者により作成され、出版された140枚あまりの地図にはホアンサ群島(英名:パラセル諸島)が描かれ、同群島に対するベトナムの主権を立証するものとなっています。

これらの地図でホアンサ群島(パラセル諸島)はブレード状に描かれ、ブレードの先端は北方にあり、末端は南方のクラオトゥ( Cu lao Thu)までに広がり、現在のベトナムのビントゥアン海域に至っています。また、この群島に面する海域、現在のベトナムの中部沿海地域はパラセルの沿岸(ホアンサ群島の沿岸)として記されました。


科学的・歴史的証拠を持つオリジナルの地図

これらの地図の中に、6つの重要な地図があります。1番目は1571年に、ポルトガルの地図製作者であったファーナンド・バズ・ドーラドが作った18枚からなる世界地図帳アトラスに盛り込まれた地図です。

これによりますと、北方にあるパラセル諸島の先端はザオチ サンゴ礁にありますが、南方の末端はクラオトゥ( Cu Lao Thu)に至り、群島の中央にはベトナム語でクラオチャム( Cu Lao Cham)、クラオレ( Cu Lao Re)、クラオサイン(Cu Lao Xanh)などが点在しています。

2番目は1576年にドーランドにより作られ、1843年と1847年に再版された地図です。この地図に描かれたホアンサ群島はチュオンサ群島を網羅しました。

3番目は1595年、オランダ人の地理学者バン・ランゲンが作った地図です。それにはホアンサ群島が詳細かつ全面的に描かれ、英語でパラセル諸島として呼ばれます。

西側の地質学者:「ホアンサはベトナムの領海に属する」 - ảnh 1
1613年に、ヨドクス・ホンディウスが作ったインディア・オリエンタリスの地図


4番目は1613年に、地図製作者ヨドクス・ホンディウスが作ったインディア・オリエンタリス(東インド)の地図です。この地図にホアンサ群島とチュオンサ群島はブレードの形に描かれ、パラセル諸島と呼ばれました。この諸島に面する海域はパレセルの海岸と記されます。

5番目は1827年、ベルギーの有名な地質学者であり、地図製作者でもあったファンデルマーレンが編集し、出版した6集からなる世界地図帳アトラスのアジアを描く第2集に盛り込まれた地図です。それによりますと、ベトナム中部海域は緯線120Bから160Bに広がり、カインホア省の前身ビンカン地域や、カムライン港、ニャチャンビーチ、クイキョンなどが描かれました。

西側の地質学者:「ホアンサはベトナムの領海に属する」 - ảnh 2
ターベルド氏が作った地図

6番目はフランス人宣教師Jean Louis Taberdが描いた地図です。地図の名前は漢字、国語字(ローマ字)、及びラテン文字で書かれましたが、地名はローマ字とラテン文字のみで書かれました。また、ホアンサ群島の位置は現在と比べ、かなり正確で、パラセルつまりCat Vangとの備考があります。

一方、1837年に出版されたベンガル・アジア協会の人類学雑誌の第6集に掲載された「ベトナムの地理備考で、宣教師ターベルドは「パラセル諸島、つまりホアンサ群島はベトナムに属する」と確認しています。


ホアンサ群島はベトナムのもの

西側諸国が出版した古地図によりますと、16世紀から、ポルトガルの航海者らはホアンサ群島と中部各省にあるクラオチャム、クラオレ、クラオサインなどの島々との関係を明らかにしました。特に、1827年に出版された地図にはパラセル諸島の右側に大きな長方形があり、アンナム王国と付記されました。

また、この地図が当時のベトナムの地理的条件と位置を描写する地図集に盛り込まれたことは地図製作者がホアンサ群島(パラセル諸島)はベトナム領土の一部分として認めたことを示しています。また、この群島に面する海域はホアンサ海域(パラセルの海岸)と呼ばれることはホアンサ群島に対するベトナムの主権を立証するものとなっています。

 

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